愛すれば愛するほど Più m'innamoro di te ルイジ・テンコ Luigi Tenco 作詞モゴール 作曲カルロ・ドニーダ によって作られたカンツォーネ。
テンコの死後15年以上経った、1984年に見出された未発表曲で1994年発売された「Quando...tributo a Luigi Tenco」 と言うアルバムに収録。
1967年のサンレモ音楽祭でダリダの出場の為に作られたCiao amore ciaoを初日に歌ったものの、予選落ちをしてしまったルイジ・テンコは独りホテルに帰り、ピストル自殺をはかり28歳という短い生涯の幕を閉じた。
ルイジ・テンコとパートナーを組んで歌う予定だった二人は何度か会っているうちに恋に落ちる。
この時彼女は34歳。
彼の死に直面したダリダは半狂乱となるも傷心のまま帰仏し、一か月程してテンコと初めて会ったホテルの部屋で服毒自殺をはかる(発見が早く未遂)。
その後、彼女自身がエントリー曲Ciao amore ciao(チャオ・アモーレ・チャオ)を歌っているが「歌うのは良いのだけれど、聴くのは耐えられない」と言っていたとか。
そしてダリダ自身は、、54歳の1987年5月にパリ・モンマルトルの自宅で 「人生にもう耐え難い。私を許して」と遺言状を残しバルビタールという睡眠薬を服用して自殺。
そんなダリダが年下の男性を想って歌った名曲が、「18歳の彼(il venait d'avoir 18 ans)」である。
この曲のヒットは1973年だが、彼女はルイジ・テンコのことを想って歌っていたのかも。
ルイジ・テンコ (vm) Luigi Tencoは、1938年3月21日ジェノヴァの北北西50kmにある小さな町カッシーネ (アレッサンドリア)生まれ、やがて養子となってジェノヴァで育ちました。
ジェノヴァ大学工学部で理論物理学を学んでいる間に作曲を始め、イタリア音楽界に新風を吹き込もうと活動していたグループの一員となります。
後にジェノヴァ派カンタウトーレと呼ばれたこのグループは以後のカンツォーネに多大な影響を与えることになりました。
58年ミラノに出来たばかりのレコード会社リコルディにジェノヴァ派カンタウトゥーレ達が入社し、ルイジ・テンコも59年3月に歌手としてデビューしました。
また他のシンガーソングライター同様に違うペン・ネームで作品を作っています。
62年には、そのイケ面からか映画「La cuccagna」に出演しその後も俳優として活躍していた。
彼の死後、残された曲は多くの歌手に歌われている。
カンタトゥーレ、ルイジ・テンコの傑作「愛のめざめ / HO CAPITO CHE TI AMO」は、「花のささやき」等でよく知られるウイルマ・ゴイクに提供した曲で、ゴイクを一気に知らしめる曲でもあった。
訳詞・イントロ編曲・歌 Sima
Pf にしかわまこと in 市川 ラ・メール
訳詞 no.123 (初稿)
シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/videos